I Don't Want to Fall in Love
5

 言葉が通じない、何だか文化もおかしい、そして体格が物凄く違う。それらの要素から考えると、今まで暮らしてきたところから、どこか見たことも聞いたこともない場所へ来てしまっているのは明確だった。少なくともここは学園じゃない。
 一体どうやって来たのか、どうすれば戻れるのかもわからない。ここがどこなのかすら、言葉の通じない俺は誰にも訊けないからだ。
「これはあれだ、どこか遠い国へ人身売買されたと思うくらいの覚悟でいくか……」
 目の前に並べられた料理は一品たりとも見たことのないもので、俺は一旦割り切って考えることにした。
 普通、ある程度近い国々の食事というのはそこそこ似通うものだ。だから食事が出されたら何となく雰囲気だけでもわかるものかと期待していた。だが、目の前の料理は何とも説明のつけようがないというか、どこの国っぽくもなかった。辛うじて食器は洋風めいていたが、フォークの歯が三本しかなかったりして、違和感が強い。
 ここはどこなんだろうか。見たこともない形をした何かをつつきながら、俺はぼんやり考えた。ここが外国だとしても、どの大陸の辺りなのかさえ見当もつかない。
『いかがなさいましたか?』
 俺の呟きが聞こえたのだろう、由利が心配そうに顔を覗き込んでくる。何とか微笑と共に首を振り、食事に手をつけてみることにした。
「……うまいな」
 どれも馴染みのない味だが、非常にうまい。感心しながら次々と皿を空にしていくと、由利が安心したように微笑みを浮かべた。心配してくれていたのかと思うと、何も頼るあてがないこの環境では心強く思える。
 食事が済むと、テーブルを片付けた由利が茶を出してくれた。先ほどのものより渋味とコクがある。ハーブティーよりは煎茶に近いかもしれない。黙って茶を飲んでいると、由利は俺に何か言ってから部屋を出て行った。
 ひとりきりになった部屋で、じっとドアを見つめる。今すぐにでもこの部屋を出て行きたい気持ちはあったが、現在地すらわからない状態で飛び出して何になるのだろう。ちらりと窓の外を見やり、そこから見える庭園に何の見覚えもないことを確認してから近くにあった寝椅子に寝転んだ。
 俺はぼんやりと元いた場所のことを、ひいてはメイのことを思い出していた。俺が学園から居なくなってから、体感時間では一日も経ってはいないが、あいつは変わりなく過ごしているだろうか。
 告白を断られた時のことまで思い出して、胸が苦しくなる。じわりと滲んだ涙を堪えて、俺は自分を誤魔化すように目を閉じた。
 少し、うとうとしていたようだ。
 目を覚ますと、由利が部屋の端に控えていた。俺が起きたのに気づいて声をかけてきた由利と身振り手振りを交えて簡単なコミュニケーションをとり、俺は更に幾つか単語を覚えた。まずは最低限必要なもの、例えば空腹の訴え方とか、お茶が欲しいとか、そういうものばかり教わった。
 他人に要求する言葉は、ここでこのまま世話されて暮らすのだったら頻繁に使いそうなものだ。けれども、俺はそんなものよりは自分のもといたところへ戻るのに役立ちそうな、いわゆる旅行に使える言い回しの方を学びたかった。それを訴えたが、由利には通じなかったのか或いはかわされたか、取り合って貰えなかった。
 そのうち夕食が運ばれてきて、俺は再び内心で驚きながら食事を済ませ、華美なことに辟易しながら入浴を済ませた。
 困ったことに両手のマニキュアもボディペイントのようなものも石鹸では落ちなかったので由利に訴えると、何か薬液のようなもので拭ってくれたが、それらに触れても爪の色は落ちもしなかった。それを見て困った顔をした由利が何度か金色のマニキュアが塗られた指先で俺の爪を撫でる。
「悪いがこっちも落としたいんだ」
『これは……』
 自分よりでかいとはいえ女性相手に晒すのも恥ずかしかったが、太股の紫色の龍を見せてそれも拭って貰う。
『薬液では落ちませんね』
 ますます困った顔をした由利が、また指先で龍をなぞった。そうされて気づいたが、由利の人差し指は爪だけでなく第一関節まで金色をしていた。同じ指には黒い石の嵌まった銀の指輪をしている。
『……まさか』
 そう言えば、ボディペイントは何日か経たないと落ちないのだとどこかで聞いたことがある。全く滲みもしないことに驚いた様子の由利を見て、俺はそんなことを思い出した。
『主上にご報告させていただきますね』
 マニキュアも龍のペイントも落とすことを諦めたらしい由利は、食後に飲んだようなさっぱりしたお茶を出すと、俺に何か断ってから持ち込んだ薬液の瓶を抱えて一旦部屋を出た。
 しばらくして戻ってきた彼女は少し疲れているようだった。思わず窺うように見上げた俺に、にっこり微笑んで見せる。
『理一様、後ほど今上陛下がこちらにいらっしゃいます』
 柔らかく微笑みを向けられ、俺は教わった語彙から言葉の内容を読み取ろうと復唱する。
『今上陛下、こちらに、いらっしゃいます?』
 誰かがここに来る。来客、ということだろう。ただ、時刻としては恐らく夜の八時を回ったところだと思われるので、訪ねてくるにしては少々遅いなという感想を持つ。
『主上です』
『今上陛下? 主上?』
 違う名称を出されて眉を寄せる。由利は焦ることなく、身振りを交えて『今上陛下』と『主上』が同じ人物の異なる呼称であることを説明した。どちらで呼んでもいいが、本人に呼び掛ける時は『主上』と呼べばいいらしい。
 そんなことを教えるということは、その来客は重要な人間であるか、少なくとも由利の上役だということなのだろう。
 納得して頷いた俺は、昼間着せられていたものよりずっと身軽な小袖を指差して首を傾げて見せた。そんな重要な相手に会うのに、浴衣のようなものを着ていていいのだろうか。
 由利が大丈夫ですと言って頷いたので、俺は半信半疑ながら案内されたソファに座って『今上陛下』とやらの訪れを待った。

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