I Don't Want to Fall in Love
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しばらくすると、外の廊下にざわざわする気配が近づいてきたようだった。俺はまだこの部屋から出たことがないから外がどうなっているかはわからないが、少なくとも複数の人間がいるのは間違いなかった。 『今上陛下がお着きです』 由利が俺に声を掛けてくる。 客人が来るのなら立ち上がって迎えるべきだろう。俺はそれだけでは少々心許ない小袖の襟元がを確認して、椅子から立った。 扉を開けた由利が俺に一礼して部屋から出て行くのを見送ると、途端に心許ない気分になった。紫藤グループ会長の末っ子である俺は確かに甘やかされて育ったが、海外への留学経験だってあるし、学園では生徒会長として他の生徒たちを取りまとめてきた経験もある。まだ十八歳ではあるけれど、その年齢の子供とは比べ物にならないくらい大人だという自負があった。それが、俺よりでかいとはいえ年下の少女に精神的に頼っている。自覚するほど恥ずかしかったが、それほど俺にとっては言葉の通じない状況が不安だった。 一旦は閉じられた扉を所在ない気持ちで見つめる。それはすぐにゆっくりと開かれ、そこから早朝に会った男が姿を現した。ひどく端正な顔立ちをした男。肘のあたりまである紫色の髪をゆったりと結わえて肩から垂らしている。 『どうやら大人しくしていたようだな』 「……!」 皮肉っぽく片方の唇を持ち上げて微笑む姿に、男たちに力で押さえつけられ、服を脱がされた屈辱が蘇る。あれを命令していたのは間違いなくこの男だ。正直なところ、顔も合わせたくない。 だけど、俺にそんな選択肢はあるんだろうか。 不快感を露わにしながらも何も言わない俺を眺め、男が目を眇めた。彼がそうすると作り物のように整った容貌と相俟って、ひどく酷薄そうに見える。 何故だかこいつに酷い目に遭わされるような予感がして、俺は相手を見据えたままじりじりと後ずさった。いつもボタンをきっちり留め、ネクタイをしていた首もとが不思議なほど不安で、小袖の襟をぐっとかき寄せる。 『ほう、わかっているではないか』 男が肩に垂れていた紫色の髪を背中に払った。するり、と俺の目の前で男が着ていた平安貴族みたいな服の一番上が床に落ちる。 これはまともな客じゃない。俺と話すために来ているなら、服を脱いだりはしない。 男からの視線には、これまで俺が向けられていた欲望はほとんど感じられない。だが、それが尚更俺の恐怖を煽った。冷静な目をしているのに、その視線は布の下にある俺の身体を辿っている。 「……近寄るな!」 ゆっくりと近づいてくる男から身体を引きながら、俺は唇を噛んだ。この部屋から逃げ出そうにも、ドアは男の背後にある。俺より十センチは高い由利よりも、更に二十センチはでかい男の横をすり抜けて出られるとは、さすがの俺も思えなかった。 『無駄に足掻くのはやめておけ』 男に嘲笑されたのはわかった。恐らく、こいつも俺が考えたことを察したのだろう。 「来、るな」 元いた場所では、俺は男性の平均身長を十センチ以上上回っていたくらい背の高い方だった。周りで俺よりでかかったのは書記くらいで、それでも由利ほどじゃなかった。だから、こんなにでかい奴に見下ろされた経験もない。 だが、目の前の男は俺より三十センチ以上でかく、そして身長に見合った体格をしている。決してごつい訳ではないが、何か武道なりスポーツなりやっていそうな、強さを感じさせる身体つきだ。この男の前に立っているだけで、俺はか弱く震える小娘のような気分にさせられる。 正直なところ、俺は今にも震えだしそうになっていた。 「来るな……」 俺の怯えを見て取った男が薄く笑う。ベッドは避けたものの、とうとう俺は壁際まで追い詰められていた。 「うあっ」 男にあっさり両腕を捕まえられ、半ば持ち上げるように歩かされる。強張る身体をベッドに放り出されて、俺は顔を真っ青にして男を見上げた。 『……ふん、俺には北辰は現れないものかと思ったが、生憎そうはいかなかったようだな』 男の視線が下がり、思わず俺もそれを追う。投げ出された勢いで乱れた裾から、龍の絡みつく太股が覗いている。慌てて裾を直そうとする腕を掴まれ、やすやすとベッドに押しつけられた。 「い、嫌だっ! 離せ!」 男同士で何をするのか、俺は知っている。 馬鹿馬鹿しい文化だが、俺のいた学園には特定の生徒を崇拝の対象にする親衛隊なんてものがあり、そこに所属していた少年たちに夜の相手をさせたことだってあった。俺が相手をしたのはそれなりに慣れた少年たちだったが、たまにはあまり慣れていない少年が部屋に来ることもあった。時折訪れる不慣れな少年が痛みを堪えて俺を受け入れていたのを思い出して蒼白になった。 今、俺はあの少年たちと同じ立場にある。 痛みのあまり泣き出した少年は、それでも初めてではないのだと言っていた。俺は初めての相手はしないと明言していたし、親衛隊にもそれは徹底させていた。それでも痛みを感じるのなら、初めては実際どれだけの苦痛を伴うのだろうか。 「頼むから、やめてくれ……」 声が震える。今の俺は、きっと普段の自分が見たら信じられないくらい弱々しく哀れだろう。しかも言葉は通じていないのだから、どれほど言葉を尽くして懇願したところで意味はないはずだ。 それでも一縷の望みに縋らずにはいられないほど、俺はのし掛かってくる男に怯えていた。 |
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