I Don't Want to Fall in Love
3

『貴様、どこの者だ。所属と名を名乗れ』
 俺の目の前の男が何か言っている。だが、どう頑張って聞いてみても、今まで聞いたこともない言語としか思えない。
 俺はこれでも英語と中国語はほぼマスターしているし、フランス語とスペイン語も日常会話くらいは習得しているから、そこそこメジャーな言語であれば理解できなくても何語なのか当たりくらいはつけられるはずだ。それなのに、目の前の直衣を着た男の言葉がさっぱり理解できなかった。強いて言うなら、少しだけ中国語に似ているかもしれないという程度。
 いや、似てる、というだけだ。北京語以外、広州語も上海語も一通り聞いたことがあるけど、そのどれでもない。
『貴様! 主上の問いに答えろ!』
 途方に暮れ、黙って男を見上げていると、後ろから何か言われて頭を揺さぶられた。髪を掴まれているから物凄く痛い。
「いって、痛ぇよ!」
 思わず悲鳴を上げると、目の前の男が怪訝そうな顔をした。首を傾げると、長い紫色の髪がさらりと揺れる。
『……言葉が通じないのか?』
 何か言っているが、もしかすると相手も言語の違いに気づいたのかもしれない。とにかく言葉が通じないことを理解してもらうのが先決だ。
「悪いけど、あんたが何を言ってるのか理解できないんだよ。Can you speak English? Parlez-vous francais? 知不知道中文?」
 手当たり次第の言語で問い掛けると、相手は難しい顔をして腕組みした。
『何を言っているかわからん。中将、こいつの手を見せろ』
『御意』
 髪を離され、俺は床に頬をつけた。俺だってこんなことはしたくないが、ずっと反らされていた首が痛くてたまらなかった。背中に乗った奴が捻り上げていた腕を緩め、俺の両腕を前に出させる。酷い格好だと思いながらも、物凄く重い体重を載せられて疲弊しているせいで逆らう気力が湧かない。
 両手首を掴んで持ち上げられると、目の前の男が近づいてきた。
『これは……』
 何か言って唸っている。俺の周りの奴らも何だかざわざわし始めた。
『まさか、本物か?』
『三つなど、聞いたこともない』
『詐称ではないのか』
 俺の手がどうかしたのか、何やら頭上で話し合われている。そんなことより早いとこ俺の上からどいて欲しい。何キロあるか知らないが、重くて重くて腰が痛いし息苦しいんだよ。
『見たところ触媒を持たないようだが、念のため脱がせよ』
『御意』
 紫の男が何かを言い、周りが従った。俺の上に居た奴がどいたかと思うと、俺は立ち上がらされる。
「何しやがるっ……離せ! やめろ!」
 何らかの誤解が解けたのかと安心しかけたが、俺より頭ひとつ以上でかい野郎どもに寄ってたかって服を脱がされて俺は仰天した。慌てて暴れるが、平安時代の狩衣みたいなものを着た奴らの力は信じられないほど強い。軽々と抑えつけられ、俺はあっという間に全裸にされた。
「やっ、やめろ!」
 両手両足を抑えつけられ、流石の俺も真っ赤になる。自分の身体にはそこそこ自信があるが、集団の中で一人だけ全裸にされて恥ずかしくないはずがない。下半身が空気に触れた気がして、俺は慌てて下を向いた。何てこった、下着すら脱がされている。
 そして、俺は自分の身体を見てぽかんと口を開けた。
『何なのだ……これは』
「……何だ、これ」
 目の前の男と声が被ったが、それどころじゃない。俺は自分の太腿に巻き付く刺青みたいなものに呆気に取られていた。
 鮮やかな紫色で描かれた、龍がそこに居た。
「いやいやいや」
 そんな馬鹿な。俺は刺青なんて入れた覚えがない。そもそもピアスのひとつも開けてないし、ちょっと古臭い考え方かもしれないが親から貰った身体に傷をつけるような真似自体が好きじゃないんだ。いつの間にこんなものが……。
『禁色……』
 俺を抑えつけている奴が何か呟いたと同時にその手が緩んだ。その隙に腕をそいつの手から抜き、俺は手で太腿の龍を擦った。ボディペイントとかなら少しは滲むはずで、それなら洗い流せるはずだからだ。
 ぐっ、と拭う。龍は滲みもしない。眉を顰め、更に強く何度も拭う。だが、擦れば擦るほど肌は赤くなるものの、紫色の龍は滲みもぼやけもする気配がない。
 しかも驚いたことに、肌を擦る俺の指先には変なマニキュアみたいなものも塗られていた。親指の爪は白、中指は赤、小指は黒。人差し指と薬指には何も塗られてない。ちょっと趣味が悪い感じだが、そんなものいつ塗られたんだろうか。
 俺はマニキュアには構わないことにして、肌が痛くなるまで太腿を擦った。
「……落ちない……」
 途方に暮れて顔を上げると、紫色の髪の男が冷たい視線で俺を見下ろしていた。蔑むような、冷ややかな目つきだ。
 こうして俺も立ち上がってみると、その身長の違いがよくわかる。俺より頭二つ分は高いんじゃないだろうか。海外のバスケ選手もかくやという身長だ。自分よりずっとでかい奴にそんな目で見られると威圧感が大きい。俺は少し震えてしまった。
『ふん、落とせないはずがない。禁色は人の身体には入らないからな。……捕らえろ』
『御意』
 周りの奴らが素早く俺を拘束した。俺にはもう逆らう気すらない。言葉も通じない上に俺の身体には変なマニキュアとペイントがされているけど、俺は正直この何もわからない状況に疲れきっていた。

next

back to novel

back to top