いけにえ!
後編


 人の足では歩きづらい山道も、山神の巨体で押し広げてやれば通ることができる。すぐ後ろに着いて歩いてくる少女を何度も横目で確かめながら、山神はひとつひとつの障害物をどかして進んだ。
 人間が生贄に捧げられたことなど、ここのところ全くなかった。あったとしても、山神は生贄をぺろりとひとのみにするだけで、天候に干渉することもなかった。天候は天の神が決めるもの、それで人間が死ぬのは天命であるからだ。
 だが、捧げられた少女の美しさは山神の心を揺らした。死ぬ前にせめて雨を見たい、そんな願い事ひとつ叶えることは容易い。ほとんど気まぐれで雨を降らせてやったが、すぐさま天候を操ったことを後悔しかけた。ところが、山神の首にしがみついて喜びを露わにする少女を見ただけで、山神の後悔は消し飛んだ。この少女が願うなら、何度だって雨を降らせてやってもいい。
 つまり、雨乞いの生贄に捧げられた少女が見せた笑顔を見て、山神はすっかり一目惚れしてしまったのだ。
「ここがわしのねぐらじゃ」
 いそいそと少女を洞穴に案内する。いくら少女が望んだとはいえ、降りしきる雨に濡れた着物も髪も重たげで、道中何度雨を止めてやりたいと思ったか。だが、雨を止めようものならこの少女から笑顔が失われることはわかっていた。だから山神は殊更急いで少女をねぐらに連れて来たのだった。
 ようやく雨の当たらないところにたどり着き、少女は疲労を滲ませて座り込んだ。その全身は未だにずぶ濡れで、そういえば人間は暖めてやらなければならなかったかと思い出す。
「ここで待っておれ」
 言い置いて、山神は身体を揺すって人の形をとった。途端に巨大な白蛇が真っ白な髪に赤い瞳を持った人間になる。身に纏う衣も真っ白の、人が美しいと賞賛する姿だ。そもそも山神とは、もとはこの山に棲む大蛇が長い時を経て人の形を取れるようになったものだ。
 びっくりしたようにこちらを見る少女の視線に賞賛を感じ取り、山神は満足そうに笑うと洞穴の隅にたまっていた枯れ木を使い、火を起こした。
「ほぅら、こちらへおいで」
 促すと、少女は恐る恐るやってきて焚き火の前に座り込む。暖かな火に手を近づけ、ほうっと息を吐いた少女が可愛くてたまらず、山神は笑いそうになるのを堪えて洞穴の奥に背中を向けて腰を下ろした。
「わしは振り返らんし見ておらんからな、その濡れた着物を脱ぎたければ脱げばよい」
 言ってやると、少女のか細い声が山神の背中に向けてかけられた。
「あの、山神様。……わたしをお食べにならないのですか」
「ふむ。わしはそなたを気に入ったからな、それは許してやろうぞ。それよりも、人の命なぞ短いもの。長くわしの傍に侍れ」
 傲慢に言い放ち、山神は内心で満足していた。こうして慈悲を示してやったのだ、きっとこの少女は山神に感謝して一生良く仕えてくれることだろう。可愛らしい少女がいつまでも傍にいると考えるだけで、山神の心は浮き立った。
「山神様……それは、ほんとうのことでございますか」
 案の定、少女は感激したようだ。感極まったような声で呼ばれて、山神は危うく振り返りそうになって自らを制した。先ほど振り返らないと言ったばかりだ。神が言葉を違えると、それだけで神通力を失ってしまう。
「ほんとうだとも。神は自らの発した言葉を違えられないのだ。そなたは一生わしの傍におれ」
「はい。はい、山神様。きっと一生お仕えいたします」
 少女の言葉と共に、衣擦れの音がする。きっと濡れた着物を脱いでいるのだろう。長く傍に居て貰うためにも、しっかり暖まり、健康を保って貰わねば困る。
「山神様……」
「なっ……」
 不意に、背中と肩に暖かい人間の体温が触れて山神は飛び上がりそうになった。驚くが、先ほど振り返らないと約束したばかりだ。言葉を違えられず、山神は人のかたちをとったままの全身を硬くして少女の様子を窺った。
「山神様、山神様、わたしはあなたの優しさと美しさにすっかり恋してしまったのです」
 少女の言葉に、山神は内心で歓喜した。感謝の念だけでないのなら、これからの暮らしがどんなにか明るくなるだろう。人間のおなごからあれほど優しく微笑まれたのも、これほど優しい言葉をかけられたのも、山神には初めてのことだ。山神はすっかり浮かれてしまった。
 だから、続け様に掛けられた言葉にも、安易に頷いてしまったのだ。
「お慕いしております、山神様。あなたを抱いてもよぅございますか」
「うむ、勿論じゃ」
「ああ、ありがとうございます」
 頷いてから、山神ははたと我に返った。おなごが抱くとはどういうことか。おかしい、逆ではないだろうか。
 するりと少女の手が着物の合わせから入ってくる。ゆったりと身体を撫で回されながら、山神は困惑した。だが、どうしても振り返ることはできない。
 少しひんやりとした山神の身体に、人間の体温はやや熱い。それに撫でられていると何だか妙な気分になってきて、山神は乱れそうになる呼吸を何とか抑えつけようとした。背後にいる少女の吐息が耳にかかり、ふるりと身体が震える。それに勢いづいたのか、少女の手つきが段々と大胆になってきた。
 とうとう腰の帯を引き抜かれ、その下に触れられて、流石の山神も羞恥心を覚えて身悶えした。少女の手つきはいやに的確で、山神の男根を撫でては擦り、擦ってはしごき上げる。
「ん……くぅっ」
 すっかり勃起してしまった男根をするりとひと撫でした指先が、つつっと更に股の間深くへと潜り込んで、山神は首を傾げた。そんなところを触ってどうするつもりなのだろう。
「山神様……かわいいです……」
 いよいよおかしなことを言われ、山神は困惑のあまり身体をよじって逃げ出そうとした。だが、それよりも早く、少女が前に回り込んで山神の膝の間に割り込んでくる。
 その少女を目の当たりにして、山神は驚いて目をみはった。着物を脱ぎ、襦袢だけを身に纏った少女は、少女ではなかった。まだ濡れてぴったりと華奢な身体にはりついている白い布地越しに見えるのは、平らな胸と、どう見ても間違いようのない、隆々と勃起した男根だった。
「な、な、なんっ」
「山神様、一生お傍に侍らせてくださるんですよね、おれを」
「そっ、そんな、話が違っ」
「抱いてもよろしいのですよね」
「そんなことっ」
 言った。確かに言った。抱いてもよぅございますか、と訊かれて、頷いたのは山神だ。言葉に詰まった山神の足の間に、少年のほっそりした指先が差し入れられる。
「お慕いしております、山神様」
 にっこりと微笑む少年に押し倒され、山神は今度こそ乙女のような悲鳴を上げた。


 そんなわけで、山あいにある小さな村の奥からずうっと登っていった先、蛟石の更に先にある山神の洞穴では、今でも山神と少年が仲良く暮らしているそうな。
 めでたし、めでたし。


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