冷たい水クラスメイトの中村のことを、俺は胡散臭い奴だと思っている。 中村はぱっと見た感じでは並よりややイケメンという程度だが、やたら物腰が穏やかで、それが不思議な上品さを漂わせていた。一部の女子からは冗談半分で王子と呼ばれているが、残り半分が本気なのは見ていればわかる。 そしてまた、中村は男子からもそこそこ人気があった。気軽にノートの貸し借りをしているところや、帰りがけカラオケとかゲーセンとかに誘われているのを何度も見かけたことがある。 男子からも女子からもそれなりに支持されている彼は、つまり八方美人なんだろう。 俺はぼんやりとついていた頬杖から顔を上げて、黒板の上にかけられた時計を見やった。次の授業は地理で、そんなものは試験前の暗記で乗り切れる。 ガタ、と椅子を鳴らして立ち上がると、隣の萩原が俺を見上げた。授業が始まるまで、あと一分もない。なのに俺の二つ前の中村の席を、数名の生徒たちが囲んでいる。彼らは授業開始のベルと共に慌てて着席するのだろう。 「サボり?」 「そ」 肯定するとそれ以上は何も言われなかった。一般生徒と不良のどちらともつかない俺に、クラスメイトたちは普通に話しかけてくるものの雑談より先には踏み込んでこない。 眠たげなあくびをひとつ。それから、茶色とオレンジ色の中間くらいまで脱色した髪をかきあげ、俺は教室からするりと抜け出した。 「あー」 屋上に着いてから、失敗したなと内心舌打ちする。まだ本格的に夏ではないものの、思っていたより日差しが強い。試しにごろりと寝転がってみたが、陽光が瞼を照らして眩しかった。眉を寄せ、目を開く。視界いっぱいに青空が広がっている。 「ちっ」 今度こそ舌打ちして、億劫だが立ち上がった。このまま屋上で眠っても良かったが、日差しのせいで喉が渇きそうだ。トントンと踵を潰した上履きで階段を降り、自販機でミネラルウォーターを買った。それからまた、トントンと階段をのぼる。 再び屋上の重い扉を開き、俺は目を細めた。本能的な警戒感。屋上の、フェンスのあたりに誰かが立っていた。同じ制服を着た、男子生徒だ。 無視をするか一瞬迷ったが、俺はその生徒が誰なのか見たくなった。潰した上履き独特の音を立てて近づくと、その生徒はゆっくり振り返った。中村だった。 ああ、君か。そう言って中村が薄く微笑んだ。 「僕のこと、嫌いなんだって?」 「ん。まあな」 否定するのも馬鹿馬鹿しく、軽く頷きを返す。途端に中村が面白がるような顔で、視線をやや外していた俺を覗き込んできた。俺より背の高い中村が背中を丸めてそうしているのが、何となく腹立たしい。 「それは良かった」 その発言に不快感を覚えたのは、多分どこかに俺の意表を突いてやろうというあいつの意図が透けて見えたからだ。 俺はますます顔を背け、横目で中村を睨んだ。 「お前は胡散臭い」 「それって、生理的に無理ってこと?」 そこまで嫌いかと訊かれると、そうでもない。癪だが、小さく首を振る。 「なら、いいんだ。生理的に無理とかだったらもうどうしようもないけど、胡散臭いんだったらそのうちわかりあえる可能性があるし」 「ねえよ」 吐き捨て、俺はさっさと踵を返した。こいつと居るのは気分がよくない。どこかあいてる教室にでも行こうと決めて、屋上からの階段を下りながらペットボトルのキャップを捻った。 冷たい水は、渇いた舌に甘かった。 中村に遭遇してから、俺はしばらく屋上を避けていた。あの時は否定したが、言われてみればあいつのことは生理的に受け付けないような気もする。とにかく胡散臭いし、気に食わない。そんな奴にはこちらから関わらないのが一番だろう。 そんな俺が再び屋上にやってきたのは、たまたま校舎裏をぶらぶら歩いている時に、血の気の多い連中に絡まれたからだ。適当に数発ずつ殴り飛ばして、短時間で趨勢を決めて立ち去る。一対多数の喧嘩は、長引かせるとこちらが不利になる。 屋上への階段をのぼりながら、ふと中村がいるかもしれないという考えが掠めた。いや、あいつは昼にだけ来ていた。放課後にまではいないだろう。 喧嘩の直後だけあり、さすがに息を切らして階段をのぼる。のぼりきった先の扉を押し開けて、俺は眉を顰めた。中村だ。 「やあ」 扉の軋む音に振り返った奴が、俺を見て薄く笑った。いつもクラスメイトの奴らに見せている快活な笑顔とは違う、胡散臭い笑みだ。 「はっ……まだ、いたのかよ」 声が喉に引っかかる。冷たい水が欲しかったが、自販機まで買いに行ってまた絡まれるのは面倒だった。 喉の渇きを堪え、俺はフェンス近くの地面にどっかりと腰を下ろした。中村は気に食わないが、少なくともこいつは殴りかかってはこないだろう。 ぺろ、と唇を舐めたのを見咎めたのか、中村が俺の前でしゃがみ込んだ。手にはペットボトルのミネラルウォーター。それを目の前で一口飲み、俺を覗き込んでくる。長い脚が窮屈そうだ。 「なに、喉渇いてんの」 「……まあな」 わざわざ訊いてくるということは、俺にも水をわけてくれるつもりだろうか。ペットボトルについた水滴が涼しげで、ついついそれを見たまま俺は頷いた。 「ん、そっか」 言って、中村が水を更に一口含むと、キャップを外したままのペットボトルをこちらに差し出してきた。 「悪りぃ、……っ!」 受け取ろうと伸ばした手に、ペットボトルが勢いよく押し付けられる。驚いて顔を上げた途端、俺の口に中村の唇が重なってきた。 口の中に、少し生温い水が流れ込んでくる。 一瞬何も考えられなくなる。二人で握り合ったペットボトルを更に強く押され、体勢を崩した弾みで水を飲み込んだ。どっ、と背中が地面に倒される。 「っ、な」 傾いたペットボトルから水がびしゃびしゃこぼれる。地面で跳ねた水が、俺の頬を濡らした。俺はそれよりも、のしかかってきている中村から目が離せない。 「……もっと飲む?」 ペットボトルを俺の手から取り上げ、中村は少し目を伏せて微笑んだ。残り僅かになった水が、透明のボトルの中で揺れる。 ああ、こいつの胡散臭さの正体が見えた気がする。 俺と中村のほかには誰もいない屋上はじりじりと暑く、中村の肩越しに見える太陽はまだ強い光を放っている。地面に押し付けられた背中が熱い。地面を伝って俺の髪を濡らす水は、既に体温よりもぬるい。暑い。 俺は眉を寄せて中村を見上げた。 「……喉渇いてんだよ」 俺の呟きを拾い、中村が満足そうな笑みを浮かべた。 即興小説トレーニング お題:求めていたのは水 制限時間:1時間 |
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