恋心の寿命


 ペンステモン、トリトマ、ジギタリス。パンジー、アカシア、リンドウ、オミナエシ。想像の中で俺は小路を歩きながら、咲き乱れる花をひとつずつ数えあげながら摘んでいく。リナリア、ヒルガオ、コリウス。アジサイ、トロロアオイ、スカビオサ。手には大きな花束が出来上がる。
 俺は恋をしている。そしてそれは永遠に叶うことがない。
 想像の小路を歩き終わって、俺はゆっくりと顔を上げた。見ようとしているつもりはない。自分を傷つけて喜ぶ趣味なんかない。それなのに、俺の目は自分自身でも知らないうちに彼の姿を見つけ出し、それを追ってしまう。
 俺が叶わない恋をしている相手は、俺とは違う学部に違う学科だけど、同じ大学でひとつだけ俺と同じ授業を履修している男だ。仮に、名前をKとしておく。
 初めて見た時、俺にとってKはごく普通の青年だった。どこにでもいるような、目立って顔立ちが整っているわけでもなく、逆に不細工でもない、ただのそこらへんの大学生。
 だけど彼はよく目立った。Kの親友、Aが滅多に見ないようなイケメンで、しかもものすごく社交的だったからだ。多分この大学の女子でAを知らない子はいない。そのくらい有名な奴がKといつでもつるんでいるものだから、自然とKまで有名になった。みんなKの名前までは知らなくても、ああ、いつもAといる奴ね、とは認識している。
 俺も、最初はそんな認識だった。ああ、Aの横にいる普通の奴な。そのくらいは言ったことがある。
 だけど、俺はふとしたことからKに惚れてしまった。
 きっかけは俺がそこそこ仲良くしている同じ学科の奴に誘われて参加した合コンだった。Aが来るとは聞いていたが、少し離れたところにある有名な女子大との合コンだと聞いて、迷った結果参加することにしたのだ。参加者は当然俺を含めたみんながみんな彼女を欲しがっていたし、だから俺も女の子のことしか見ていなかった。
 その夜の俺はたまたま前日に風邪をひいてしまっていて、それを甘く見たのが悪かったのか、途中で段々熱が上がってきてしまった。アルコールが入っていただけに自覚するのが遅れて、気がついた時には俺はトイレに駆け込んでゲーゲーやる羽目になっていた。
 くそ、失敗した。そう思うこともままならないほど、一気に悪化した体調は最悪で、俺はぼたぼたと垂れる冷や汗を拭うことさえ出来ずに洗面台にしがみついていた。
 そこにやって来たのが、Kだった。
 あとは簡単な話だ。どうしてもと誘われたAに連れられてやってきた合コンに、Kはそれほど乗り気ではなかったらしい。だって合コンで会う女の子ってみんなAのこと虎視眈々と狙ってるだろ。あの獲物を見る目つき、ちょっとこわいよな。そんなことを言いながら、ハンカチがないからとガラガラ引き出したトイレットペーパーで汗を拭ってくれた手つき。俺に気を遣わせないように、下らない話を続けながらもさり気なく合コン会場に戻れないことなんかどうでもいいと言ってくれた優しさ。そんなもので、俺は完全に恋に落ちてしまっていた。
 お互いに、名前は聞かなかった。
 Kのことはああやって言葉を交わす前から時々見掛けていたし、知っていた。Aが有名だからだ。だけど、Kは学部も学科も違う俺のことなんか知らない。
 それが予想から確信に変わったのは、夏休みを挟んで授業が始まり、たまたま一つだけ同じ講義が被ったことがわかった時だ。
 あの合コンで介抱して貰った際、俺はKにお礼を言い忘れていた。そのまますぐに夏休みに突入してしまったものだから、俺は夏じゅうずっとKのことを思い出したりして過ごしていた。だから、同じ教室で彼を見掛けた時には内心で飛び上がるほど喜んだ。これで、彼にお礼を言える。授業が被っているのをきっかけに、あわよくば友達くらいにはなれるかもしれない。
 俺のはかない望みはすぐに断たれた。講義の後、Kに声を掛けた俺は、自分の名前を名乗るより先に、Kから「Aなら今日はサボり。この後カフェテリアに来るよ」と言われてしまったからだ。
 Kは俺のことなんて欠片も覚えていない。他の、Aの所在を訊くためだけに彼に話し掛ける奴らと同列に扱われたことが、それを証明していた。
 俺はぎこちない笑みを何とか取り繕い、ありがとうとだけ言った。Kが覚えていないのに、夏休み前の合コンでのことなんか言っても仕方ない。意味は伝わっていなくても一言お礼を言えたことだけを心の慰めにして、俺はすごすごと立ち去った。
 俺の恋は、始まる前から終わっていた。それだけだ。
 それからも、有名人のAと常に行動を共にしているKのことはよく耳に入ってきた。その度に、俺は何度も何度も懲りずに嫉妬した。KとAが親友同士であって、そこに恋愛がないことはよくわかっている。だけど、友達にすらなれなかった俺にとって、彼らが恋愛関係にないことは何の慰めにもならなかった。
 諦めようと何度自分自身に言い聞かせただろう。どれだけ俺の内心で嵐が吹き荒れたところで、それがKの心をそよとも動かしたりはしない。それでも、俺の耳はKの名前に反応し、俺の目はKの姿を追いかけ、俺の脳は何度でもKのことを思い出した。
 今日もKがAと連れ立って教室から去って行くのを見るのがつらくて、俺は早々にテキストを纏めると彼らを追い越してカフェテリアへ向かった。Kに触れたいとは望まない。自分だけを見て欲しいとも言わない。だからせめて、彼と気軽に会話してみたかった。
 だけど、Kの傍にはいつもAがいる。
 俺は適当なメニューを注文し、トレイを持って適当な席に座った。視線がついついいつもKたちが座っている席に向いてしまう。そこは珍しく先客で埋まっていて、俺は内心でKたちが俺の視界に映らない席についてくれることを祈った。
 俺の期待は外れた。
 Kたちはいつもの席が埋まっていることを知ると、よりによって俺のすぐ隣に座った。
 心臓がばくばくと鳴る。箸が止まる。ただでさえ味気なかった食事の味が全くわからなくなって、俺は強張る身体を何とか不自然ではないように取り繕うことでいっぱいいっぱいになった。
 あまりにも緊張していたからだろうか。何とか食器を空にすることができた俺は、立ち上がる時にもろにKと視線を合わせてしまった。
 頭が真っ白になる。Kが俺を見ている。
 俺は反射的に笑った。
「お前らいっつも一緒にいるよな。カップルかよ」
 何てことを言ってしまったのだろう! これが嫌味に聞こえなかったことを祈りながらなるべく朗らかに笑って見せると、Aが笑いながらKの肩を抱いた。
「そうだよ。俺らオツキアイしてんの。なっ、K」
「そんなわけないだろ」
 親友の悪ふざけに呆れたようにKが笑う。ぐいと引き寄せられた姿勢のままで。気を許した奴に向ける苦笑で。
 ああ。俺は、Aの立ち位置にすら届かない。
 そこから、どうやって帰ったのか記憶にない。
 ペンステモン、トリトマ、ジギタリス。パンジー、アカシア、リンドウ、オミナエシ。想像の中で俺は小路を歩きながら、咲き乱れる花をひとつずつ数えあげながら摘んでいく。リナリア、ヒルガオ、コリウス。アジサイ、トロロアオイ、スカビオサ。手には大きな花束が出来上がる。
 俺は想像の中でひたすら花を手折っていく。Kへの気持ちをこんな風に手折りたいと祈りながら。花束のようになった俺の恋心が、いつかすっかり枯れて風化してくれることを願いながら。



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